17th SUMMER
TOKYO ONE NIGHT DREAM
1998. 8.16 昭和記念公園
1986年8月3日。
「TOKYO BAY-AREA」はアルフィーファンの熱気で満ちあふれていた。約10万人にも及ぶ大観衆。俺は、初めてアルフィーを生で見た時のことを思い出していた。レコード屋の店頭に20人ほどの客。あの時、手を伸ばせばさわれるほど近くにいた3人が、今日は見えないほど遠くにいる。「とんでもないことになったもんだ。」正直、そう思った。武道館や横浜スタジアムの時は「アルフィー、売れたな!すごいな!」と、素直に喜べた。しかし、10万人ともなると、何か複雑な想いが混じってくる。べつに、自分がアルフィーを育てたわけでもないし、ただ単に昔から応援していたというだけなのだが、何故かこの時、自分でもよく分からないが、「もういいかな・・・。」と、思ってしまったのだ。
インターネットを始めて、自分のホームページを作ろうと思ったとき、まず考えたのは、
「いろいろな人たちと、共通の話題でコミュニケーションをとる」
ということだった。どんな話題がいいだろう?自分が自信を持って話せることといったら・・・?
そして、できあがったHPは自然とアルフィー中心になっていた。「BAY-AREA」以来、アルフィーの活躍ぶりはTV、CD、ビデオなどで、少し離れた位置から見ていた。もちろん、ファンをやめたわけではないし、ずっと気にはしていたのだが、いざ、HP作成となったときに真っ先に「アルフィー」が出てきたことに、自分でも驚いた。自分にとってのアルフィーの存在の大きさにあらためて気づいたのだ。そして、HPを運営しながら、いろんな「アル中」の人たちと出会っていくうちに、もう一度あの大観衆の中に戻ってみようか・・、という気持ちが強くなっていった。
1998年8月16日。
立川駅はアルフィー一色になっている。大きな横断幕、高見沢氏デザインのモノレール関連事業のマスコットキャラ、記念のカードを売り込む駅員の声。食事をした駅ビルのイタメシ屋でも、ポチTを着た団体が前夜祭の話題で盛り上がっている。
「プール行くぞ!」といっていた同行のI氏が、天気を読み違え、準備をしてこなかったため仕方なく、レンタサイクルで園内をまわって時間をつぶすことにした。いや〜暑いぞ!風もないし。とにかく汗が滝のようだ。ひと月ほど前の下見の成果を発揮して、霧の森や日本庭園などをまわっていると、(ビデオパンフで、坂崎氏がこの2カ所を紹介しているのをあとで見て驚いた)どういうわけか自転車専用道路に、アルフィーファンの団体がゾロゾロ歩いている。お姉さん方、ここは歩いちゃだめですよ、と言おうにも、とにかくそこらじゅうにいる。無法地帯だな、と思っていたら、スタンプラリーのチェックポイントが、専用道路の脇にあるではないか!どうなってんだ?
人の間をすりぬけながら走り回って、16時過ぎに自転車を返し、会場へ向かった。会場となる「みんなの原っぱ」の入口には、ズラリといろいろな所からの花が並んでいる。中でも「小室哲哉」「B’z」「篠原ともえ」の3つに視線が集まっていた。シノラ〜からの花はいかにも彼女らしくひまわりで、あちこちから「かわいいねー」の声が聞こえた。
「H4」ブロックは探すまでもなく、入るといきなり目の前にあった。おいおい、チケット買ったときに見た座席表ではI.J.Kブロックぐらいまであったぞ!まさか一番後ろとは・・・。まあ、しかたない。夏イベは見えないもんだ、雰囲気雰囲気!と無理矢理納得する。
前日のチャットで会うことを約束した留三さん、SHINOさん&FRIENDSとも無事会えて、短い時間だったが話すことができた。こういう出会いもインターネットのおかげ、そしてアルフィーのおかげである。
ほぼ定刻18:00。THE ALFEEの3人が登場した(らしい。よく見えないのよ)
正直言って、最近のアルバムは持ってはいるが聞き込んではいなかったので、ライブの雰囲気にスンナリと溶け込めるか心配だった。おまけにアルコン自体、12年ぶりである。さすがに、「ヌーベルバーグ」と「プライド」はかなり聞き込んでいたので、1曲目が「Crisis
Game」で少し助かった。
そんないい加減な人間を、一気に引きつけたのは、2曲目の「ロンリー・ガールを抱きしめて」だった。結局、古い曲→知ってる→歌える→うれしい、なのだ。ひどいもんだ。これでこんなHPを作ってるとは、自分でもあきれる。今度はちゃんと予習して行こう、と堅く決意する。
坂崎氏が客席をなごませ、高見沢氏がまじめにメッセージを語りかける。このパターンは、僕が初めてアルフィーのコンサートに行った18年前と、全く変わっていない。しかし、高見沢氏の「人間花火」にはまいった。いくらビッグになっても、こういう「ネタ」を堂々とやってくれるところがうれしい。
MCでは、さかんに「12年前のTOKYO BAY AREA」という言葉がでてくる。言われてみれば、確かに東京での夏イベはあれ以来なのだ。自分が、大げさに言えば、アルフィーファンとして一区切りをつけた、あのコンサートの話題がやたらと出てくることに、何か不思議な因縁を感じていた。
最初のアンコールで「OVER DRIVE〜夢よ急げ」そして「SWEAT&TEARS」が流れてきたとき、完全に自分の心が12年前の13号埋立地に戻っていくのを感じた。高見沢氏の「一度離れてしまった人たちも、自分たちがこうしてステージに立っていれば、必ず戻ってきてくれると信じている」という言葉に、思わず涙がこみ上げてくる。
そして再びアンコール。「明日に架ける橋」を聞きながら、サイモン&ガーファンクルに興味を持ったのも、アルフィーの影響だよな・・・、とあらためて感じた。そして、あの時は最後に「Rockdom」だったな・・・、と考えていると、高見沢氏が
「あの時、初めて歌った曲があります」
と言う。おいおい、ほんとかよ。これ以上俺を泣かすなよ。
「13年たって、やっとこの曲にたどり着いた、とあの時言いましたが、それからまた12年たって、この曲を本当に歌うことができるようになったと思います」
そして、「俺たちの時代を忘れないで 風に吹かれていたあの頃・・・」の大合唱の中で、自分にとって、少しぼやけていたアルフィーの存在が、はっきりと大きくなっていくのを感じた。